「大事の前の小事」という表現には、2種類の意味がある。
文献上の初出例を調べられる『日本国語大辞典』(精選版をWeb上で閲覧可能)によれば、歴史的な意味の変化は以下のとおりだ。
①大事を行なう前は、どんな小事にも油断をしてはいけないということ。
[初出の実例]「おお大事(ダイジ)の前(マヘ)の小事(セウジ)ゆゑ、随分共に心を附けよ」(出典:歌舞伎・出来龝月花雪聚(真田幸村)(1871)二幕)
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E4%BA%8B%E3%81%AE%E5%89%8D%E3%81%AE%E5%B0%8F%E4%BA%8B-557154
②大事を行なう場合は、小事にかかわっていられないということ。大事の前には小事を犠牲にしてもやむをえない。
[初出の実例]「然に頼政・光泰・光基も、心がはりして見えければ、義朝うたばやと思はれけれども、大事の前の小事、敵に利をつくるはしなれば、思ひとどまり給けり」(出典:平治物語(1220頃か)上)
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E4%BA%8B%E3%81%AE%E5%89%8D%E3%81%AE%E5%B0%8F%E4%BA%8B-557154
鎌倉時代の時点(②)では、「大きなことのためには、ささいなことはどうでもいい」という意味だった。
しかし、明治期(①)の頃には「ささいなことを軽んじていては失敗するぞ」という戒めの意味でも使われるようになっている。
現代に生きる自分の感覚としては、真反対の意味にもかかわらず、どちらの意味でも通用する。どちらが正しいかと考えるより、誤解が生じやすい表現として、使用する際に意識するほうが建設的だ。
あるいは、①の意味なら「油断大敵」、②の意味なら「小の虫を殺して大の虫を助ける」のように、似た意味の別の表現を用いたほうが、誤解が生まれにくいだろう。
……と、ここまでが実用的な話で、ここからはただの「今日、私が考えたこと」である。
一般に、強い信念や高い目標を持った、志の高さは重要視される。
ただ、身の回りにいる人であれ、書籍やメディアの中で見る人であれ、「この人は素晴らしいなぁ」と自分が感じる人は、意外にも「大志などは特にない」と語ることが多い。
そのかわり、日々の自分の役割に向き合い、仕事や活動をこつこつと続けている。そこから発せられる言葉は、専門分野を超えて、学びを与えてくれる。
つまり、①の意味での「小事」――目の前のことをおろそかにしない姿勢――を徹底している人たちなのだと思う。
大志を語る言葉はいろいろある。それに心を動かされることもある。
しかし、実際に見えるところで、現実の社会を良くしていたり活躍していたりするのは小事を徹底している人だというのが、これまでの生活を通じて得た自分の確かな実感である。
当ブログでは、運営費用のサポートを目的に、アフィリエイト広告(Amazonアソシエイトを含む)を掲載しています。

